ミノルタの歴史(表向き)

 

創世記

昭和天皇の即位大礼式が 行われた日の翌日1928年11月11日、 小さな光学機器メーカー 『日独写真機商店(のちのミノルタ)』 が武庫川河畔で産声を上げ、 翌年、第1号機「ニフカレッテ」を発売しました。

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「ニフカ」とは、 日独写真機商店の「ニ」、 フォトグラフィーの「フ」、 カメラの「カ」を合わせて創った冠名称で、 創業当時発売されたカメラにはこの「ニフカ」が付いていました。 1937年、社名を『千代田光学精工株式会社』に変更し、国産初の二眼レフカメラミノルタフレックス」を発売しました。

技術も輸出も先駆者

カメラ輸出の先駆けとなり、 アメリカに現地法人ミノルタコーポレーションを設立した1950年代、 ミノルタは、アメリカのカメラショーで展示した35mmレンズシャッター「ミノルタA」や二眼レフミノルタオートコード」が評判になり、 アメリカのカメラ業界で、日本製のカメラが注目を浴びるきっかけとなりました。 さらに、ミノルタは、カメラ用レンズに世界で初めて多層膜コーティング(アクロマチックコーティング)を施し、 それをカメラに組み込みました。世に言う「緑のレンズ ロッコール」の誕生です。 このコーティング技術により、カラーの再現性が飛躍的に向上し、自然の色を忠実に再現しました。 例えば、ミノルタ初の35mm一眼レフカメラ「SR-2」用レンズ「オートロッコールPF F1.4 55mm」にも多層膜コーティングが施されました。

宇宙の旅

1962年、グレン中佐(当時。のちにアメリカ上院議員)が搭乗した アメリカの人間衛星船『フレンドシップ7号』の宇宙飛行用カメラとして35mmレンズシャッター「ハイマチック」が採用されました。 アメリカ航空宇宙局NASA)の厳しい条件や耐久テストを一つ一つクリアし、 “宇宙仕様”の「ハイマチック」が完成しました。アメリカ・スミソニアン博物館にこのカメラが展示されています。

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また、1968年、アメリカ・アポロ8号に露出計「スペースメーター」が搭載されました (1969年のアポロ10号、11号にも「スペースメーター」が搭載されました。)。 宇宙から地球の写真を撮影するときに、地球の青さをこの露出計で測定しました。

なお、社名を『ミノルタカメラ株式会社』に変更したのは、1962年のことでした。

ドイツ・ライカ社との相互技術協力

1972年6月、世界最高峰の光学機器メーカー『ライツ社』と技術交換や生産協力などで提携することを発表しました。ライツ社が外国企業と提携したのは初めてのことであり、この提携ニュースは、日・米・独で大きく報道されました。この協力関係に基づき、1973年、「ライツミノルタCL」を発売しました(海外では「ライカCL」ブランドで発売されました。)。  この技術提携により、ライツ社の一眼レフカメラやムービーカメラにミノルタのレンズを、ミノルタ一眼レフカメラにライツ社のレンズや顕微鏡装置をそれぞれ使用できるようにし、両者の製品ユーザーが様々な撮影機会において幅広い利用が可能になりました。

オートフォーカス一眼レフカメラ、登場

これまでカメラは“固定焦点→レンジファインダー二眼レフ→一眼レフ”と言うように ピント合わせの技術革新とともに進化してきました。 そしてついに、1985年、ミノルタが世界に先駆けて 本格的オートフォーカス一眼レフシステムを生み出したのです。 α-7000チームの「これまでにない、新しいカメラを製品化する。」という、 堅い意志と熱意のこもった「α-7000」は世界中で大ヒット、 海外からの逆輸入現象も起きたほどでした。 「α-7000」をきっかけに各社から次々とオートフォーカス一眼レフカメラが発売され、 一眼レフカメラは、それまで「一部マニアのための難しそうなカメラ」から 「誰でも簡単に綺麗な写真が撮れる万能カメラ」へと変わっていきました。

フィルムからデジタルへ

1990年、「α-8700i」がロシア(旧ソ連)の宇宙ロケット『ミール』とともに宇宙へと旅立ちました。 カメラとしては、1962年のアメリカの人間衛星船『フレンドシップ7号』に搭載された「ハイマチック」に次ぐ快挙でした。 「ハイマチック」同様、厳しい条件をクリアしたことで、 ミノルタの技術力の高さが証明されたわけです。 その技術・開発力が「α-707si」(1993年)、 そして1995年のレンズ交換式一眼レフデジタルカメラ「RD-175」及び35mmフィルムを デジタル化するフィルムスキャナ「QuickScan 35」の製品化に貢献しました。  なお、1996年、新写真システム(APS)が登場し、 注目されました。当社でも「Vectisシリーズ」を市場化し、 銀塩カメラの新しい楽しみ方を提供しました。

なお、1962年以来使用してきた社名『ミノルタカメラ株式会社』を『ミノルタ株式会社』に変更したのは、1994年のことでした。

デジタルカメラへの本格参入

これまで銀塩カメラで培ってきた技術をデジタルカメラにフルに投入。 CCDの性能を引き出す レンズ生産技術やユニークな光学系 開発・製品化を実現しました。 例えば、発売当時、民生用のデジタルカメラとしては 世界初の5メガCCD搭載機「DiMAGE 7シリーズ」用にレンズを新たに開発し、搭載しました。 また、ズームをしてもレンズが飛び出さない 光学系を採用した薄型デジタルカメラDiMAGE Xシリーズ」など、 ミノルタの技術と独創性を発揮したデジタルカメラを世に送り出しています。